MoonlightGarden~馨の徒然日記~

1度きりの人生だから楽しまなくちゃと奮闘している双極Ⅱ型、パニック障害患者のブログ

双極性障害と診断されてから その1

私が双極性障害と診断されたのは25歳の頃です。

診断後から実家暮らしをしていた頃までを振り返ってみたいと思います。

 

〇東京での一人暮らし時代〇

勤務先の会社はとても協力的でした。

休職は生活できなくなるので困るという話をしたところ、時短勤務で調整しましょうと、在籍部署はそのままで調整してくれました。

その後、「馨さんをうちの部署に欲しい」と直接人事部に言ってくれたところもあり、体調も鑑みて異動することになりました。

しかし異動直後から躁転し、ライブや舞台のチケットを買い漁ったり、気になった本を手当たり次第に購入しては読み漁るという行動に出るようになりました。

当然貯金は底をつき、実家に頼ることになります。

暫くは実家からの援助でなんとかなっていましたが、そもそも援助を頼んでくるということを不審に思った母親は、

「家業の人員が不足しているから帰ってきてくれ」と断りにくいように実家に戻るように促していました。

当時は渡りに船。会社にも退職の話をし、実家に戻ることにしました。

しかし、今思えばこれが症状悪化への入り口でした。

 

〇実家生活時代①~人から隠れる生活~〇

実家へ戻ってから半年は、人から隠れるような生活でした。

戻ってすぐは軽い躁状態だったこともあり、一日中、本を読み漁っていました。

3日以上寝ずに、なんてことも頻繁にありました。

その後急激に鬱転。今度は布団から出ることすらできなくなり常に寝ている生活。

起きあがれる日に本を読もうとしても、文字が上滑りし意味がわからない状態。

TVをつけても、流れている内容を理解することすらできなくなっていました。

転院先を見つけたのは、鬱状態がある程度落ち着いたころでした。

 

〇実家生活時代②~仕事復帰~〇

実家に戻って半年後、やっと家業へ本格的に従事するようになりました。

当時、母との約束は次の通りでした。

①通院時間はきちんと確保する

②食事やサプリ、服薬については何も言わない

③12時間以上の連続勤務や炎天下での業務は難しいので、業務内容は考慮する

④会社と家での立場をきちんとする

 

しかし、どれもきちんと守られることはありませんでした。

通院の為に不在と伝えていた時間に来客や会議の予定が入っていたり、

夏の炎天下、屋外での業務が割り振られていたり。

「いつまで通院するの?」「いつまで薬飲むの?」「いつまで病人のフリするの?」と

矢継ぎ早に言われることも。

また、家に帰っても上司としての母が居り、気の休まる時間は殆どなく、ストレスだけがどんどんと蓄積されていきました。

この頃は服用していた薬の影響か、ずっと軽い鬱状態を保っていました。

その事で、当時の主治医は転院前の「双極性障害Ⅱ型」という診断に疑問を持ち始めていました。

 

〇信頼関係の崩壊~母と主治医~〇

母が一度病院に行って主治医に会うと言い出しました。

医師に相談したところ、医師と母と2人で会うので診察予約をしてくださいと。

当事者抜きで何を話すの??と疑問に思いつつも指示に従うことにしました。

医師から直接、話した内容を聞いたわけではありませんが、母曰く、

「馨さんの表面化している症状は性格に拠るものでしょう」

「私は以前の医師の診断に疑問を持っています。躁病相を見たことがありません。」

と言われたそうです。

この話を聞いた時、母へはもちろんのこと、主治医への信頼も地に落ちました。

以降、診察に行くことも、病院の近くへ行くことすら恐怖を感じるようになりました。

 

〇実家生活時代③~不信と強制断薬~〇

病院へ行くこと、主治医に会うことに恐怖を感じるようになった私は、

手持ちの薬が終わった後も病院に行くことはできませんでした。

強制的な断薬期間へ突入です。

処方されていたのが気分安定剤だったこともあって離脱症状はありませんでしたが、

感情の起伏は落ち着くことはなく鬱病相と躁病相が頻繁に現れるようになりました。

鬱病相の期間には剃刀で手指の皮を剥ぎ、紐やタオルで首を絞めるなど自傷行為が始まり、

一転して躁病相の期間にはイライラして母との喧嘩が絶えることはありませんでした。

 

〇実家生活時代④~半引き籠り~〇

母と仕事や家族の事で喧嘩になるのはいつも躁転してイライラしている時でした。

ある時の喧嘩後、感情のコントロールが効かずに自宅で大暴れ、

破壊衝動のままにありとあらゆるものを壊していきました。

ガラス片で指先がぱっくり割れ、どくどくと血が流れることにも気付かず、

床は滴り落ちる血に染まっていました。

自宅の惨劇を見た母は、「自分で片付けて」「世間体の悪いことはしないで」とだけ言い捨て仕事に戻っていきました。

その後は急激な鬱転。

母への不信は恐怖にかわり、顔を合わせないように自室に籠るようになりました。

母の居ない時間は自室から出られるものの、帰宅してきた車のエンジン音を聞くだけでパニックになり、自室へ逃げ戻るという状態でした。

数か月経つと鬱症状もある程度落ち着き、母から逃げたい一心で就職活動と物件探しを始めるようになりました。