Moonlight Garden~馨の徒然日記~

1度きりの人生だから楽しまなくちゃと奮闘している双極Ⅱ型、パニック障害患者のブログ

20th Anniversary♡

こんにちは。馨です。

 

昨日7月21日は

KinKiKids CDデビュー20周年!!

おめでとうございますヾ(*´∀`*)ノ

 

気付けばもう彼らもアラフォー…

なのに、見た目だけはどんどん若返っているような気がするのは私だけ??

(光一さんは10代の頃から口を開けばオヤジだったし…(-_-;) )

シノラーとのやり取りはただの子供だし…(-_-;) )

 

相変わらず、不仲説と出来てる説が交互に流れる2人ですが(笑)

2人以外にはわからない空気感や絆がきちんとあって、

背中を預けられる、唯一無二の存在なのだと、私は感じております。

 

 

仕事はすれども集中力は…

こんにちは。馨です。

今日は仕事、就労について。(※あくまでも私個人の状態です

 

治療の最優先事項

私は、双極性障害と診断された時には会社員として仕事をしていました。

1人暮らしで助けてくれる人もいない。働かないことには生活ができない。

なので、医師には仕事を続けられる状態であることを最優先にしてほしいと伝えました。

その後何回か転院することになるのですが、この最優先事項はずっと変わっていません。

現在まで、時短勤務の期間はあったものの中長期の休職をしたことはありません。

(転職は何度かしていますが…)

 

現在の就労と勤務状況

現在は事務職の正社員として勤務しています。(一般採用です)

当初はクローズにしていましたが、体調が不安定な為、直属の上司と人事部には病名及び状態を伝えています。

シフト制勤務なのを利用して、なるべく平日にも休めるようにと配慮していただいています。

評価面談等ではいつも、「業務態度やレベルは問題ないんだけど、当日欠勤の回数がね…」と言われます(汗)

 

求められる業務レベルと集中力

事務職といっても一種の専門性を求められる業務を担っているので、知識のアップデートは常に求められています。

また、頻繁に〆切に終われる為に正確性とスピードも同時に求められています。

 

私の場合、軽躁状態の時に過集中する傾向が強く、鬱状態の時は殆ど集中できません。

躁状態で過集中気味の時は、自分でもびっくりするほどサクサクと仕事が進むし、上司からは「食事して休憩してきなさい!!!」と怒られることもしばしばです。

本など活字に触れている時間が楽しくて仕方がなく、どんどん読み進めてしまうので、この時ばかりは本屋やAmazonでポチっと買い物などしたらとんでもない量を買い込んでしまうので要注意(汗)

仕事で必要な知識を吸収するにはこのタイミングしかないので、いつも詰め込み学習です(笑)

逆に鬱状態の時は集中するだけの体力気力がないのか、15分と同じことができません。

15分作業したら30分休憩…のように細切れに作業を進めるしかなく、調子が悪いと言葉の意味すら理解しづらくなります。

これは文字、記号、絵と分類はすんなりできるし読めるのですが、意味まで理解することができずに気持ち悪くなる(車酔いに似たような感じ)こともあります。

鬱も軽ければなんの影響もないんですけどね…

 

とにかく集中力の持続時間にムラがあるので、一緒に仕事をしている皆さんには調整等の迷惑をかけっぱなしだし、そもそも求められている業務スキルをきちんと身につけられているのかすら自分では怪しいよなぁ…と思っています。

 

双極性障害と診断されてから その2

前回の続き。 実家を出てから現在までです。

 

前回↓

moonlight-garden.hatenablog.com

 

 

 

 

2度目の一人暮らし

無事就職先も住む場所も見つかり、2度目の一人暮らしです。

勤務先には病気の事はクローズにしていたので、毎日自分を騙しながら出勤をつづけていました。

休めば損という考え方の経営者だったために、月間休日は5~6日。

仕事自体は忙しいわけではなく、どちらかというと暇。毎日出勤してもやることがないという状態が続く事もありました。

出勤していても暇なので、次第に転職先を探すようになりました。

転職先はすぐに見つかり、現在も勤務を続けています。

 

ちょうどこの頃、学生時代からの友人にネットワークビジネスに誘われます。

ネットワークビジネスの話はまた後日。

 

そして現在

現在は、会社員として仕事をしながら一人暮らしを続けています。

勤務先には当初クローズにしていましたが、急激な体調悪化をきっかけに、直属の上司と人事部にだけは少しだけ話をしました。

病気だから…と排除するのではなく、どうしたらより仕事ができるかを一緒に考えようとしてくださるので、本当に有難い限りです。

今更、「診断書出して」と言われるのはどうなの?と思いますが…(笑)

 

双極性障害と診断されてから その1

私が双極性障害と診断されたのは25歳の頃です。

診断後から実家暮らしをしていた頃までを振り返ってみたいと思います。

 

〇東京での一人暮らし時代〇

勤務先の会社はとても協力的でした。

休職は生活できなくなるので困るという話をしたところ、時短勤務で調整しましょうと、在籍部署はそのままで調整してくれました。

その後、「馨さんをうちの部署に欲しい」と直接人事部に言ってくれたところもあり、体調も鑑みて異動することになりました。

しかし異動直後から躁転し、ライブや舞台のチケットを買い漁ったり、気になった本を手当たり次第に購入しては読み漁るという行動に出るようになりました。

当然貯金は底をつき、実家に頼ることになります。

暫くは実家からの援助でなんとかなっていましたが、そもそも援助を頼んでくるということを不審に思った母親は、

「家業の人員が不足しているから帰ってきてくれ」と断りにくいように実家に戻るように促していました。

当時は渡りに船。会社にも退職の話をし、実家に戻ることにしました。

しかし、今思えばこれが症状悪化への入り口でした。

 

〇実家生活時代①~人から隠れる生活~〇

実家へ戻ってから半年は、人から隠れるような生活でした。

戻ってすぐは軽い躁状態だったこともあり、一日中、本を読み漁っていました。

3日以上寝ずに、なんてことも頻繁にありました。

その後急激に鬱転。今度は布団から出ることすらできなくなり常に寝ている生活。

起きあがれる日に本を読もうとしても、文字が上滑りし意味がわからない状態。

TVをつけても、流れている内容を理解することすらできなくなっていました。

転院先を見つけたのは、鬱状態がある程度落ち着いたころでした。

 

〇実家生活時代②~仕事復帰~〇

実家に戻って半年後、やっと家業へ本格的に従事するようになりました。

当時、母との約束は次の通りでした。

①通院時間はきちんと確保する

②食事やサプリ、服薬については何も言わない

③12時間以上の連続勤務や炎天下での業務は難しいので、業務内容は考慮する

④会社と家での立場をきちんとする

 

しかし、どれもきちんと守られることはありませんでした。

通院の為に不在と伝えていた時間に来客や会議の予定が入っていたり、

夏の炎天下、屋外での業務が割り振られていたり。

「いつまで通院するの?」「いつまで薬飲むの?」「いつまで病人のフリするの?」と

矢継ぎ早に言われることも。

また、家に帰っても上司としての母が居り、気の休まる時間は殆どなく、ストレスだけがどんどんと蓄積されていきました。

この頃は服用していた薬の影響か、ずっと軽い鬱状態を保っていました。

その事で、当時の主治医は転院前の「双極性障害Ⅱ型」という診断に疑問を持ち始めていました。

 

〇信頼関係の崩壊~母と主治医~〇

母が一度病院に行って主治医に会うと言い出しました。

医師に相談したところ、医師と母と2人で会うので診察予約をしてくださいと。

当事者抜きで何を話すの??と疑問に思いつつも指示に従うことにしました。

医師から直接、話した内容を聞いたわけではありませんが、母曰く、

「馨さんの表面化している症状は性格に拠るものでしょう」

「私は以前の医師の診断に疑問を持っています。躁病相を見たことがありません。」

と言われたそうです。

この話を聞いた時、母へはもちろんのこと、主治医への信頼も地に落ちました。

以降、診察に行くことも、病院の近くへ行くことすら恐怖を感じるようになりました。

 

〇実家生活時代③~不信と強制断薬~〇

病院へ行くこと、主治医に会うことに恐怖を感じるようになった私は、

手持ちの薬が終わった後も病院に行くことはできませんでした。

強制的な断薬期間へ突入です。

処方されていたのが気分安定剤だったこともあって離脱症状はありませんでしたが、

感情の起伏は落ち着くことはなく鬱病相と躁病相が頻繁に現れるようになりました。

鬱病相の期間には剃刀で手指の皮を剥ぎ、紐やタオルで首を絞めるなど自傷行為が始まり、

一転して躁病相の期間にはイライラして母との喧嘩が絶えることはありませんでした。

 

〇実家生活時代④~半引き籠り~〇

母と仕事や家族の事で喧嘩になるのはいつも躁転してイライラしている時でした。

ある時の喧嘩後、感情のコントロールが効かずに自宅で大暴れ、

破壊衝動のままにありとあらゆるものを壊していきました。

ガラス片で指先がぱっくり割れ、どくどくと血が流れることにも気付かず、

床は滴り落ちる血に染まっていました。

自宅の惨劇を見た母は、「自分で片付けて」「世間体の悪いことはしないで」とだけ言い捨て仕事に戻っていきました。

その後は急激な鬱転。

母への不信は恐怖にかわり、顔を合わせないように自室に籠るようになりました。

母の居ない時間は自室から出られるものの、帰宅してきた車のエンジン音を聞くだけでパニックになり、自室へ逃げ戻るという状態でした。

数か月経つと鬱症状もある程度落ち着き、母から逃げたい一心で就職活動と物件探しを始めるようになりました。

 

 

別ブログからのお引越し。

こんにちは。馨です。

 

元々、アメブロやfc2ブログをやっていたのですが、続かない。

ブログだけでなく、FacebookTwitterなどのSNSにも

アカウントを持っていることから、

更新することが面倒くさくなってくるんですよね。

 

で、過去のブログやSNSのアカウントはそのまま持っている。

不必要なものはさっさと断捨離してしまおう!!ということで、

はてなブログに統合することにしました。

SNSは各アカウントそのまま運用を続けます)

 

2017/6/21以前の記事は

過去ブログからお引越ししてきたものです。

徐々に整理していく予定をしていますので、

お見苦しい箇所もあるかと思いますが、

何卒ご了承ください。

  

こんな徒然日記ですが、

お時間ございます方はお付き合いくださいませ。

双極性障害と診断されるまで。

 

私が双極性障害と診断されたのは25歳の頃です。

その頃までを少し振り返ってみたいと思います。

 

 

○幼少期、小学生期

私が3歳、幼稚園入園前頃に両親は離婚をし、

私と1歳違いの妹は母方に引き取られ育ててもらいました。

父がいないことも、母が仕事をしてほぼ一日家にいないことも、

家事を子供がすることも何もかも、当り前だと思って生活していました。

今思えば、大人びたというより、子供っぽさの無い子供だったと思います。

そのおかげ(?)で小学生時代、その後の中学生時代も

小さないじめを受けることになります。

 

○中学、高校生期

母は、『「母子家庭だから碌な教育を受けさせていない」と言われたくない』と

常々私たち姉妹に言っていました。

そのおかげで私立の学校に通わせてもらうことができ、きちんと学校教育を受け、

今も続く友人関係を築くことが出来ているので、とても感謝しています。

しかし母子家庭という環境、そこでの人格形成は、中学生という未熟な集団の中では浮きやすく、

いじめの標的にされるまでそう時間はかかりませんでした。

高校生になってからは、広く浅い交友関係よりも狭く深い関係を築きはじめ、

いじめられていると感じることは殆どありませんでした。

高校生の頃には、母方の祖父が経営する小さな会社で働くようになり、

ますます子供らしさ、学生らしさは失われていたように思います。

 

〇短大、専門学校期

 母方の祖父の会社で働くために必要なものを勉強するように、と言われ、

短大では栄養学、専門学校では会計学を勉強していましたし、

短大では学生会と献血ボランティア、専門学校では吹奏楽部に所属していました。

また、祖父の会社では正式にアルバイトとして仕事をしながら、

居酒屋、イベントスタッフ等いくつものバイトを掛け持ちしていました。

友人達と遊びに行き、終電帰宅や友人宅に外泊、オールで遊ぶなんてことも度々で、

何時寝ていたの??と当時の自分に聞いてみたいくらいです。

 

〇社会人期

一旦外の会社も経験してこいと言われ、新卒で就職活動をしました。

就職先は東京の某IT企業。初めて一人暮らしでした。

仕事は楽しい。休日は好きなアイドルのコンサートや舞台三昧。

新しい友人もたくさん出来て楽しい生活をしているつもりでしたが、

突如、不眠と猛烈な倦怠感に襲われました。

地元の友人2名に、体調不良のことや愚痴などを電話で話しているうちに、

それぞれから同時期に「精神科か心療内科に絶対行って!!」と

言われるようになりました。

自分では病気ではない、ただ疲れが溜まっているだけ!と主張していましたが、

自分で行かないなら引き摺ってでも行かせると脅されれば行くしかありませんでした。

 

〇その後、通院と転院

 最初に診察を受けたのは、会社の近くの心療内科でした。

その時は「心身症」と診断。一定の休養が必要だとして、時短勤務になりました。

(休職は絶対嫌だと言い張りました(汗))

しかし、上司は「心身症」という診断に納得しておらず、

産業医との面談と、別の病院への受診を再三勧められました。

その後、別の精神科を受診。

一度は「身体表現性障害」と診断されましたが、

カウンセラーとの話のなかで、短大時代や専門学校時代の話をしたことで、

双極性障害Ⅱ型」と診断名が変わりました。

この頃にはパニック障害の症状もあり、

電車やバスでは頻繁に発作を起こしていました。

 

 

 

 

双極性障害Ⅱ型と診断された後の事はまた別で書きたいと思います。

長々とお付き合いありがとうございました。

 

はじめまして。馨です。

 

○ご挨拶

はじめまして。馨です。

此処は、馨が気儘に綴る日記帳です。

更新頻度とか、内容とかきっちり決めるつもりはなく、

日常のありとあらゆること、感じたものをそのまま綴っています。

 

※注意※
閲覧は自己責任でお願いします。
閲覧後の苦情等は受け付けておりません。

 

○ 馨 って何者?


三十路独女。OL。
精神疾患双極性障害パニック障害)患者。
近畿圏内生息中。

きちんと自分の病気と向き合うこと、
どう病気と付き合っていくか、
普通の当たり前の生活をどう送るか、が、人生の目標。

三十路(もうすぐ四十路)Kidsが日々の癒し。